ダイエット編(リバウンド対策・・・・ロゴセラピーからのアプローチ)2008-07-05 Sat 21:21
今やっているヒロカツダイエットは成功するに決まってます。(OH!) 理由はかつて成功したことが何度となくあるからです。(nice) しかし、リバウンドも何度となく経験しています。(笑) そこで、今日はダイエット成功後にリバウンドしないための対策を考えてみます。 7月2日で取り上げたロゴセラピーを使ってみます。(OH!)http://hirokatsu.blog76.fc2.com/blog-entry-533.html ロゴセラピーの基本はロゴスに目覚めさせることだったりします。 ロゴスとは何ぞや・・・・? 一言でいうと「愛」です。 その愛とは何ぞや・・・・? 多面的な見方が出来るので定義が難しいです。(汗) これでは「ロゴスとは・・・・」の核心にせまる答えにはなっていませんね。 しかし漠然と「愛」でよいのです♪ では実際にリバウンド対策にロゴセラピーを使ってみますか。 まづ、リバウンドする状態は断じて本来の状態でないです。(この意識づけが大切!) しかるにリバウンドする状態とはロゴス(愛)が欠如している状態といえそうです。 なので、ダイエット成功後にロゴス(愛)を感じることが出来ればリバウンドは無い・・・・っという事になります。 このロゴス(愛)を感じ取るには幾つかの方法があるのですが、手っ取り早いのが感じ取ることの近似でロゴス(愛)を理解することです。 そのためには、ロゴス(愛)から離れた状態がどんなものかも理解する必要があります。 人は無自覚のうちにロゴス(愛)から離れてしまうことが多いのですね。 とても良い例がありましたから、ちょっと長いですが、これを読んでロゴス(愛)について理解してみましょうか。 理解できたとき、ロゴスは目の前です♪ 後はどんな態度でリバウンドに臨めば良いか、解ってくるはずです・・・・きっと♪ 実はリバウンドに限らずいろんなケースに対応できるフランクルさんのロゴスのお話しです。 今日も最後までお付き合いありがとうございました。 コメント大歓迎です。 (今日の体重64.8kg、英語耳「表記できない発音記号」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「フランクルに学ぶ」より No11真の勇気が試されるのは逆境の時ではない。 幸運なときどれだけ謙虚でいられるかで試される。 ・・・・ついに解放された囚人たちが遭遇した精神的な試練・・・・ ○解放された人たちが陥る病的な心理 解放されたフランクルたちは、収容所の門の方へよろめいていった。 おずおずと周囲を見渡し、お互いの顔を見た。門から出て、最初の第一歩、長い間あれほど夢見た自由への第一歩を、踏みしめてみた。 だが、フランクルはこういうのである。 「われわれの間に大きな喜びがみなぎっていたと考えるなら、それは大きな間違いである」 どの人も放心状態となり、この現実が信じられない。今までずっと非人間的に扱われ、感情や感性を殺されてきた結果、喜びも何も感じることができなくなっていたのだ。 自由に歩いても、何の命令も響かない。拳骨や足蹴を恐れて身を屈める必要もない。もはや囚人ではない。なのに、実感が沸いてこない。まるで違う世界を眺めているようだった。 牧場にきた。咲き乱れる花々、きれいな鳥、カスタニエンに樹の下のベンチに腰を下ろす。 しかし、その顔は無表情であり、世界は何の印象も与えてくれない。 結局、夜になると、もとのバラックに戻ってくる。そして、こんな会話がかわされるのだ。 「ねえ、今日は嬉しかったかい?」 「いや、本当のことをいえば、そうではなかった」 精神医学的にいえば、重い「離人症」を患った状態を示していたのである。離人症とは、現実に生きているという実感が欠如し、自分が自分ではない感覚に陥ったり、まるで夢を見ているような、いわゆる「宙に浮いた」ような症状に悩まされる病気である。 もっとも身体の方は、まったく抑制されていなかった。何時間も食べて食べて食べ続けたという。そうして腹が膨れてくると、今度は口が緩んでくる。彼らは、今まで自分が体験した圧迫的な状況を吐き出すかのように、ひたすらしゃべり続けたという。 こうして、少しづつ、人間的な感性を取り戻していったというのである。 ところがこのときに、ある病的な傾向が発現するのであった。 フランクルが「潜水病」にたとえたこの傾向は、高い気圧状態から急に低い気圧に戻ると身体に障害が生じるように(そのため潜水夫はゆっくりと海面に上がっていく)、心理的な圧迫を急に除かれた人間も、道徳的健康を損なうことがあるという。とりわけ、権力の乱用と暴力の傾向が生じてくるというのである。 例えば解放後、フランクルは同僚と野原を歩いていたのだが、目の前に芽の出たばかりの麦畑があった。同僚は、その麦畑を踏み付けながら突っ切っていった。フランクルが若い芽を踏みにじるべきではないと注意すると、彼は血相を変えて怒鳴りつけたというのである。 「何をいうんだ。俺の妻も子供もガスで殺されたんだぞ。それなのに、少しくらい麦畑を踏み付けるのを禁じるというのか!」 だが。自分が不正に苦しんだからといって、自分も不正を犯していい権利はない。 人間は、慣れない幸運に急に恵まれたりすると、自惚れたり、傲慢になったり、人を見下ろしたりすることがある。フランクルも指摘しているように、そんな人たちは決して悪い人間ではない。ただ、自我のコントロールを失い、虚栄心を満たそうとする欲求に振り回されてしまうのだ。換言すれば、その土台となっている「恐怖」に負けてしまうのである。 強制収容所という地獄に耐え抜いた彼らが、意外にも、こんなことで自らの脆弱さを暴露させてしまったのだ。真の勇気が試されるのは、逆境のときではなく、むしろ幸運のときなのかもしれない。恵まれた環境において、どれだけ謙虚でいられるかが問われるのであろう。 |
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